つぶやき

たし算の人ではなく、かけ算の人に。

私、昔から「ひらめき」が空から降ってくることがあるのですが、それは本当に突然やってくるんですね。

今日は、ものすごく不思議なことがあったので、記録しておきたいと思います。

今朝は、朝5時からのレッスンはなかったので、目覚ましはかけずに寝たのですが、なぜか朝3時に目が覚めました。

そこで、ベッドの中でなぜかこの言葉が降ってきた。

「Multiplicar」(かける)

なぜかはわからないけれど、この言葉からいろんな思考がはじまって、かけ算ってものすごいポテンシャルじゃね?って思い始めたんです。

だってさ、

10という数字があったとする。

これをたし算にしたら、

10+10=20

でも、これをかけ算にしたら、

10×10=100

記号買えただけで、80も差が出るのよ?

かけ算って、すごいなぁ~って、頭の中で朝3時、目をつむりながら考えていたんです。

そうしたら、もっともっと思考は膨らんできて、

「このMultiplicarって言葉、私のプロジェクトにぴったりじゃない?」

って思い始めたの。

うまく説明できる自信がないのですが、どういうことが書いてみましょう。

例えば、ある人が10という資源を持っていたとする。これは、家族とか家の財産とか人脈。生まれ落ちた環境から与えられるものだとしましょう。

そこに、人生にはいろんな機会が訪れるので、その機会を別の10とする。

そこで、普通の人は自分の資源と機会を「損得」の感情で見て、プラスと見ればそれをすかさずつかみ取り、マイナスと見れば避けていく。

そうやって損得勘定で人生に付加価値つけていこうとするのが、たし算。

10+2+3+5+…   みたいな。

 

でも、ちょっと特殊なタイプの人は、人生をかけ算していくのではないかと思ったのであります。

同じように、自分に与えられた環境が10。いや、人によっては、1とか2の人もいるでしょう。

でも、そこに降ってくる運命に対し、持っている資源をフル活用して、与えられた機会の中でとにかくがむしゃらに闘い抜く。その時の生命活動は、たし算ではなく、かけ算だ。

つまり、10という資源からあらゆる機会をかけ算していくとすると、

10×2×3×5×…

となり、たし算人生との差が大きく出る。

この場合、資源が初めは1だったとしても、

1×10=10

この10が資源となり、次の機会でまたさらにかけ算すれば、

10×10=100となり、人生大逆転。

 

しかもさ、これさらにすごいのが、スタートが負だった場合よ。

-100という人生の壁があったとしましょう。

これ、普通に考えてたし算人生だったら、

-100+10+10+10+10+10+10+10+10+10+10

で、ようやくゼロ。

でも、その-100から目を背けずに、むしろ体当たりで自ら運命を受け入れて、あえて自らマイナスのカードを切る覚悟(負のエネルギーを利用して、這い上がってやろうという心意気)があれば、こうできない?

-100×(-100)=10000

かけ算には、この大逆転現象がいつだって起こりえる。

これは、人生を損得勘定のプラスマイナスだけで考えている人には、できないことだと思うのです。

世間に漂っている損得でものごとを判断する次元を超えて、何かものすごいエネルギーが体内の起こった時に、+の記号を自ら×記号に変えられるのではないでしょうか。

 

私は、それはなんだろう?

って、思った時、

「人の恩」

もしくは、

「人の情」

なのではないだろうかと思いました。

 

愛する家族を助けたい、
あの人の笑顔が見たい、
あの恩を返したい、

など。

人の心に存在する損得勘定では測れない「誠」の部分。

それは、自分の幸せというちっぽけな話ではなく、自分の外へ向かう命の燃焼エネルギー。

これこそが、人生の計算式を+から×に変える、爆発的なエネルギーの出どころなのではないでしょうか。

 

ここまで書いておいて、自分、何言ってんだろう?って思ってきた。

これ読んで、伝わる人いるんだろうか?

でも、誰にも伝わらなくとも、今朝私は、この「Multiplicar(ムルティプリカール)」という言葉の美しさ知ったのです。

 

私は、この村の子どもたちに、こういう機会を提供したいと思います。

人生の計算式は、自分の覚悟さえあれば、だれでもかけ算にできる。

たとえ、今どんな困難があろうと、

どんなに貧しかろうと、

人の恩に報いる人生を命を懸けて燃やしていきたい!

と、真に思う人ならば、必ず道は拓けるということを証明する場所を作り出したい。

人生は、マイナスがやってきたら、実は大逆転のチャンス。

平坦な道しか歩めなかった人よりも何倍も多くのことを成し遂げられるポテンシャルを持っているということ。

 

まずは、自分か。

私は自分の人生を、たし算ではなく、かけ算にして生きていきたい。

与えられたものを、そのままおいしいおいしいと自分一人で楽しむのではなく、与えてもらったものをその倍の倍の倍にして、この世間に送り返す。

そういう人生を歩めたら、私は幸せだ。

そうやって私が命を燃やしながら生きることで、
自分の両親も私を誇りに思い、少しは恩返しができるでしょうか。