今日で、グアテマラにきて50日目。
いつの間に!
今日は一日これまたいろんな思い、考えを心に抱いた一日でした。
週末は、一人の時間が長く友達もいないし、家族も外出。
読書や勉強もしたけれど、そればっかも疲れる…。
ほんとやることなくて、ひとりぼっちの時間、「孤独」というものを心いっぱい味わっていました。
そんな孤独と闘った週末を明け、月曜日の出勤。
幸せを感じました。
自分に仕事があるってこんなにすてきなことなんだって!
自分に居場所があるってこんなにうれしいことなんだって!
日本では、忙しすぎてそういう思いは抱けなかったけれど、今思えば、あんなに仕事があるイコールそれだけ必要とされているということ。
幸せなことだったんだな~と。振り返って気づきました。
そして、今日からいよいよ学校の中身をのぞき始めることにしました。
どの学校も読書の時間が設けられているんですが、グアテマラの読書の時間ってどんなん?
と非常に興味をもっていたので、7:30~8:00の読書を見に行ってみました。
・まず、子どもがまだ登校していない!
・7:30に先生がいなくて鍵が開いていないところも。子ども外で待ちぼうけ。
・そうじをしている先生とこどもたち(当番制になっているようです)
・掃除道具をふりまわして遊ぶこどもたち。とにかくうるさい!
・あるクラスでは、読む本は教科書。毎日教科書。毎日同じ文。つまんなくないかなぁ?
・あるクラスでは、新聞。小2で大人の新聞。理解できているのかなぁ?
・あるクラスでは、もう授業始めちゃっている!
一クラスだけ、静かにみんな席について本を読んでいるクラスがありました。
先生のしつけの問題のようです。
午後は、初めて算数の授業も見させてもらいました。
初めに見たのは、5,6年生の複式学級(2学年が一つのクラス、一人の先生で授業する)。
どんな風に進めているのか、大変興味がありました。
先生は、初めに5年生に教科書内容を教え、そのあと練習問題をさせているうちに、6年生の内容を6年生に教える。
そんな感じで、先生とともにやる時間と自習の時間と交互に行っていました。
先生は、黒板を二つに分け、2つの教科書をもちかえて、とても忙しそうでしたが、子どもたちはわりと落ち着いて授業をしていました。
ただ、文章題の立式は先生が、その式を解くのを子どもにやらせるという形で、子どもが自分で考える場面は少し少なったように思います。
ちなみに教科書は貸し出しなので、問題は全てノートに書き写します。
もう一つ、4年生の授業を見させてもらったのですが、ここでもたくさんの私の常識を覆させてもらいました。
・子どもが好き勝手教室を出入りする。
・軽食を食べながらの授業。床にポタポタこぼれる飲み物。→だれも気にする気配なし。
・ペンと机でがドラムになって、バチバチ演奏する子ども数名。
・すごい姿勢で授業をうけるこども。
・図形の授業、定規をもっているのはほんの一部なので、みんなハンドライティング。
・先生の説明が間違っている?
・子どもがうるさすぎて、叫ぶに近い声量で授業を進める先生。
細かく言えばまだまだ書き足りていませんが、とにかくいろんな衝撃を受けました。
もう一つ言うと、小4の教室に一人体のおっきい子がいて、何歳なのかと先生に後で聞いたら、14歳だって。
小2で2回落第してと言っていた。入学するのも遅かったのかな?
今年で学校に通うのは、最後にして次からは働くんだって。
学校は好きじゃないみたい。
教室をでると、廊下にはスイカのかわ。学校でこうならそりゃぁ街もゴミがたくさんになるよね。
いろいろと思うことはあるけれど、今はとにかく現実を
「受け入れる」
ってことが、私には必要だと思います。
でもこれがなかなか難しい。
いちいち自分の中の常識と違うと
「なんで?なんでこうなる?」
と若干いらっとする自分がいる。
でも、それと同時に気づくのです。
今まで自分がどれだけ視野が狭かったかって。
自分の世界だけが常識だとどこかで思っていたことに気づく。
そして、改めて日本の学校、自分が先生として働いていた5年間、気づいていなかったことが本当にたくさんああったと。
そもそも生徒が時間通りに学校にいる、これだけですごい。
授業中、教室にいる、それだけですごい。
読書の時間に、読書をしている、すごすぎる。
先生の話に耳を傾けている、なんていい子なんだ。
ゴミはゴミ箱にはいっている!学校がきれい!ものがそろっている!清潔!やばいくらいすごい!
それを子どもたちが自ら清掃し、整えている!信じられない。
あ~、もうあげだすときりがない。
今となっては、日本の教育ってほんっとすごいとあがめます。
確かに、しばりは多い、ルールも多い。
でも、そのなかで守られてきた教育の質というものがあったことを体で気づいた一日でした。
日本の学校ってすごいですよ!
しかし、日本も行き過ぎている指導もあるとは思う。
じゃぁ何が大切なのかって、今の私が思うのは、
なんのためのルールなのか、
なんのための礼儀なのか、
なんのための勉強なのか、
なんのための授業なのか、
なんのための学校なのか…
これを教師ひとりひとりが自分の答えをもって、子どもと接すること。
そして、子どもに幸せに生きてほしい、
かけがえのないこの世でだった一人の大切な存在、
そんな思いである「愛」が土台にあること。
これが崩れなければ、教育の本質からずれることはないと思う。
もちろん、それでも、思うようにならなくて日々自問自答して闘うことになるとは思いますが。
今日は、本当にいい気づきができました。
でも、さぁ、現実に戻って自分の仕事を考えてみる。
自分の使命は、算数教育の向上ですが、今日見た限り、これは授業以前の問題な気がしています。
授業を成立するためには、
・授業する時間があること
・授業する先生がいること
・子どもがいること
・子どもが参加すること
・内容があること
・その内容を教師が理解していること
など、ほんっとあたりまえのことですが、大前提があると思うのです。
となると、今の現状を見るとその大前提が確保されていないと私には見える。
しかし、まだ一日しか見ていないので、何とも言えません。
明日からもいっぱい感じていきたいです!
明日は、なんと前任の先生の活動ではじまった「研究授業」が市内であります。
どんなものが見られるのか、楽しみです!
P.S.この家でテレビが見れることになりました!明日の女子バスケのアメリカ戦、みれる!と思ったら、研究授業の時間とかぶってる…。悲しすぎる。でも、頑張れニッポン!
ここでも先生向けに、通信書くことにしました!