ジャマイカからグアテマラの元任地サンティアゴアティトラン市に帰ってきました。
昨日、いつも寄っていたチョコフルーツ屋さんにふと立ち寄ったときのこと。
お店を出ようとしたら、知っている顔の男の子!!
「ペドロ??」
この子は、私がこの村に来て、最初に名前を覚えた男の子でした。
この村には同じ名前の人がたくさんいて、「ペドロ」という名前は、とてもよくある名前。
私のカウンターパートもペドロ。
今、私が支援をしようとしている男の子もペドロ。
そして、この子も。
この子は、現在15歳。
多分この子に初めて会ったのは、3年前だから彼が12歳の時だったんだと思う。
その時彼は、とても小さくって、小学4年生くらいの見た目だったと記憶しています。
彼に会ったのは、湖の上。
私がボートで観光地であるパナハチェルと任地を移動するボートの上でした。
その時彼は、お母さんが作った手伝りのハチドリのビーズがいくつか入ったかごを手にしていました。
聞いてみると、パナハチェルでこのビーズを売り歩いているんだと。
その時に「学校は行ってるの?」
ときいたら、
「前に行っていたけど、今は行ってない。お母さんの仕事の手伝いをしている。」
と言いました。
その時は、まだグアテマラのこと何も知らなかったから、こんなに小さい子も自由に学校へ行けない社会なんだという事実に衝撃を覚えました。
それから時は流れ、翌年。
自分で決めたパイロット校への訪問をしてみると、なんとそこにペドロの姿が!
びっくりしました。
学校は諦めていたと思ったけれど、こうしてまた通えるようになったんだ!
とうれしく思いました。
でも、13歳の彼が所属していたのは、小学3年生のクラス。
グアテマラでは日本と違って留年もあるし、入学するのが遅ければ、他の子よりひとまわり大きい体で小学1年生の教室にいることも珍しくありません。
彼は、なんだかんだで学校にいるときは楽しそうにしていたけれども、まわりは小3のちびっこたちの中で、一人だけ大きな体で一緒に遊んだり勉強したりするのは、難しさも見えました。(この時は出会った時から体つきもどんどん成長していた。)
私が、ここの任地を離れた1年前。
最後に彼の教室を訪れたとき、彼との出会いの日を思い出して、記念に写真を撮りました。
(2018年6月)
(一人だけ体の大きいペドロ)
いろんなハンディはあったけれども、こうして勉強を続けている彼を見ていると、なんだか励まされる気持ちがしました。
そして、今回の再会。
彼は、もう学校に行ってませんでした。
今は、市場で野菜を売っているんだって。
学校へは行きたくないの?
ってきいたら、
もう行きたくないって。
あれだけ、ハンディを抱えながらも学校へもう一度行き始めたのに・・・。
学校へ行くことだけがきっとすべてじゃない。
ある程度読み書きを覚えたのであれば、もうこれから生きる上では必要がないと判断したのかもしれない。
でも、やっぱりすこし悲しい気持ちを抱いてしまうのは、私のエゴなんだろうか。
エゴかもしれないけれども、私は少なくとも小学校は卒業するまでこの村の子どもたちに勉強を続けてほしいと思ってしまう。
いくら教育の質が低いといっても、そこで学ぶ人間関係や、読み書き、スペイン語は大人になったときに少しでも彼らの力になり、武器になるはず。
ペドロはこれからどんな人生を歩んでいくんだろう。
私は、別のペドロという男の子を支援することを決めました。
でも、このペドロに対して、私は本当に無力でした。
この村には、私の知らない現実がたくさんあるんだろう。
そして、目をそむけたくなる話もいっぱいあるんだろう。
今は微力だけれども、そしてこれからも何かを変えていけるなんて思わないけれども、
少なくとも私が出会った人々には、幸せに生きていてほしいなぁという願いがわいてくる。
今は、もうすっかり大きな男性に。
また会えたらいいな。